元首相の宮沢喜一氏が2007年6月28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区神宮前の自宅で死去した。87歳だった。東京都出身。葬儀は親族だけで行い、告別式は別途執り行う。。。と共同通信が伝えている。
驚くほど小柄な方だが、穏やかな物言いの中に知性が感じられる点において他の自民党の政治家とは一線を画していたように思う。首相になってからは、やや風を読めず、「テレビでウソをついた」ような政治家としての本土俵ではないところでの失言をネタに批判の嵐を巻き起こしてしまったような記憶あり。むしろ、首相を引いてからの方が存在感が出てきたように感じた。
ご冥福を祈りたい。以下、共同通信の記事である。
驚くほど小柄な方だが、穏やかな物言いの中に知性が感じられる点において他の自民党の政治家とは一線を画していたように思う。首相になってからは、やや風を読めず、「テレビでウソをついた」ような政治家としての本土俵ではないところでの失言をネタに批判の嵐を巻き起こしてしまったような記憶あり。むしろ、首相を引いてからの方が存在感が出てきたように感じた。
ご冥福を祈りたい。以下、共同通信の記事である。
1991年11月、第78代首相に就任、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させた。93年6月、政治改革法案が挫折する中、自民党分裂で内閣不信任決議案が可決され、衆院を解散。総選挙で過半数割れに追い込まれ退陣、自民党一党支配に象徴される「55年体制」最後の宰相となった。
退陣後も小渕内閣で蔵相就任、「平成の高橋是清」とも呼ばれた。小泉純一郎前首相の引退要請を受け、2003年11月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
51年のサンフランシスコ講和会議に出席した吉田茂首相(当時)に随行。大蔵省退官後、53年の参院選で初当選し、参院当選2回、衆院当選12回。外相、官房長官、蔵相など重要閣僚を歴任。軽武装、護憲、積極財政による経済成長路線を政治理念に、「保守本流」に位置し、戦後保守政治をリードした。
2007/06/28 17:44 【共同通信】
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